今年は
花粉症
の影響を去年以上、
モロに受けている さくら でございます。。。m((_ _))m
さて、今まで色々と海外で活躍した
プロレスラーの自伝といいますか、
・ザ・グレートカブキ
・キラー・カーン
・ケンドー・ナガサキ
といった3選手の本が発売され、
昨年の入院中など、色々と拝読させて頂きましたが、
ここに来てもう1人、海外で大活躍したレスラーの本が
発売され。。。
発売され。。。
著者の方は
タイガー戸口 選手
ということで、キム・ドク、タイガー・チャンリー
などといったリングネームで活躍を。
本の方は徳間書店から販売され、
内容の方も・・・
日本プロレス所属時に片道切符、
シューズ、トランクスだけ持って渡米
シューズ、トランクスだけ持って渡米
「ヒール」としてアメリカン・ドリームを実現した
レスラーがいた。
レスラーがいた。
だが、彼はジャイアント馬場の策謀で
全日に引き戻され3番手に甘んじ、
全日に引き戻され3番手に甘んじ、
金銭トラブルを理由に新日に移籍。
その後、再渡米しWWFに参戦、
ホーガン、シュワツェネッガー、
ホーガン、シュワツェネッガー、
ドナルド・トランプらと知り合う。
「レスラーは個人事業主」の信念の元、
今なおマットに立つ戦いの半生が、
今なおマットに立つ戦いの半生が、
プロレス界の秘話とともに明かされる。
著者について
1948年、東京都葛飾区出身。
韓国出身の力士・龍錦を父に持つ
在日韓国人2世のプロレスラー。
在日韓国人2世のプロレスラー。
修徳高校入学から柔道を始め、将来の大型五輪選手として
期待されながら卒業後、67年に日本プロレス入り。
72年にシューズとタイツ、片道切符だけを手に渡米する。
大型ヒール「キム・ドク」として才能を開花させ、
トップとなり、週1万ドルを稼ぎ
アメリカン・ドリームを手にする。
トップとなり、週1万ドルを稼ぎ
アメリカン・ドリームを手にする。
ジャイアント馬場の策謀により76年から
全日本プロレスに参戦し、ナンバー3として活躍。
81年には当時、日本マット界では
全日本プロレスに参戦し、ナンバー3として活躍。
81年には当時、日本マット界では
掟破りとされた新日本プロレス移籍を果たし、
84年に新日離脱。
全日再加入を模索するも馬場の反対によりとん挫。
84年に新日離脱。
全日再加入を模索するも馬場の反対によりとん挫。
88年、公開の映画「レッドブル」
(主演、アーノルド・シュワルツェネッガー)に出演するなど、
映画界にも進出する。
現在まで、現役レスラーとして日米で活躍。
といった歴史を。。。
実際、内容の方も
第1章 マットに立つ
第2章 アメリカン・ドリーム
第3章 全日本プロレスへ
第4章 参戦WWF
第5章 虎は死なず
といった具合。
海外で活躍したレスラーとして、
数々の苦労や日本のプロレスマット界の裏話が
ふんだんと散りばめられておりますが、
もし私めがプロレス大好き少年だった頃に
読んでいたら、プロレスに対しての感情は
どうなっていたんだろうかと、つくづく。。。(悩)