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 2011年3月11日14時46分・・・
早いもので、あの忌まわしい地震からもう4年。。。
 
 当日は私め、仕事はお休みで早朝から人間ドック、
昼前からクルマの契約を済ませ、
自宅でインフルエンザで
休んでいた娘チャンと一緒にテレビ、
丁度、息子クンは幼稚園が終わり、
自宅にて園服から着替えの真っ最中。
 

 突然、家がユラユラと揺れ始め、
段々と揺れが強まり揺れが収まるどころか、
更に強まり、2階からは何かが落ちる音が聞こえ、
子供たちをテーブルの下に潜らせ、
女房サマにテレビを押さえる様に指示し、
私めは避難路確保のために玄関ドアを・・・
ドアを開けると、目の前の道路では揺れのために、
クルマやバイクが停車し、
揺れが収まるのを待っている。。。
 
 数分続いた揺れが収まり始め、一家の無事を確認し、
私めの実家の方を確認、遠目から見る限りでは、
倒壊はしておらず一安心するも、
道路を挟んだ反対側の一軒家は屋根瓦が一部損壊。

 自宅周囲の方は異常な見受けられないものの、
ガスメーターは赤点滅、揺れによりガスの
緊急停止ということで
とりあえず、復旧させる。
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 我が家の方は幸いにも一家全員が
地震発生時に自宅に揃っていたものの、
私めの両親はこの時、茨城県内にゴルフ、
私めの祖母が1人で留守番、
とりあえず車庫を開け、車庫内の状況を確認したあと、
軽トラックにて実家へ。

 実家に到着、ひとまず外観上は問題ないものの、
揺れの影響で縁側の
掃き出し窓のクレセント錠が曲がった程度。  
 
 職場に参集することを念頭に置き、
祖母に自宅に来てもらうよう、
依頼している最中に今度は
茨城県沖を震源とする地震・・・
実家の母屋も左右に揺さぶられ、
軽トラックも大きく揺れている。
 
 実家から私めの自宅に祖母を連れ、
テレビを見てみると、
津波に襲われる岩手県釜石市・・・
この状況下では尚更、
急いで職場に行かなければならない、

と確信した私め、2輪車に跨り職場へ・・・
途中、道路の方は目立った損壊はないものの、
塀などが崩れ落ちている。
 
 職場での話は日報の方でお話いたしますが、
召集が解除され、自宅に戻ってから
色々と自宅内での状況が分かり始める。
 
 アップライトピアノや2階の本棚は前にせり出し、
書庫には屋根裏から転落してしまった
模型の部品などが散乱。
 
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 屋根裏の道楽オヤジの模型部屋のブックケースは
収納スペースにあらかじめ、ストッパーを設けていたため、
車両自体の被害はなし。
 
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  一方、数日後には自宅の表札が落下し粉々に・・・
恐らく、接着不足により剥がれ始めていたようですが、
地震の揺れが最後の一撃となり、
剥がれて落下してしまった様で。
 
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 我が家の被害自体は軽微にも及ばない程度
で済みましたが、
東日本大震災、未曾有の大津波、
震災死者1万5千人以上、
行方不明者もまだ2500人以上、
福島第一原発の放射能漏れ事故は、
震災復興に暗い影を落とし、
現地では平穏な暮らしには、まだまだ程遠い様な状況。

 大多数の被災者がまだ苦悩する中、
国賊どもの誠意のない政治模様・・・
この国の復興はまだまだ遠い未来のような。。。

 改めて、震災で亡くなられた方々へ
ご冥福をお祈りいたします。
また被災された方々へのお見舞い申し上げます。