
息子クンが前に走るトヨタの
ISIS(アイシス)の文字を見て一言、
ISIS(アイシス)の文字を見て一言、
「あ!イスラム国のクルマだ!!」
やっと我が家のランクル70も、
ダティーなイメージが払拭できるか?
と思う さくら でございます。。。m(_ _)m

さて、私めがお仕事で駐車場で待機中、
駐車場奥に気になる土手を見続け、はや9年・・・

たまたま、クルマのナビゲーションを弄っていると、
下総小金中野牧跡
という文字が目に入り、
スマホにて調べていると、
私めもビックリの事実が・・・
私めもビックリの事実が・・・
某病院の駐車場に残る野馬土手です。
初富の捕込に野馬を追い込むための
「追い込み土手」だったようです。
200メートル以上の長さの立派な土手が、
まさにむき出しの状態で連なっていますので、
見ると驚きます。
見ると驚きます。
まさに面前で見ているものが、
説明文のソレだったようで。。。
説明文のソレだったようで。。。

そんな野馬土手、それって何ぞや?ということで、
下総小金中野牧跡で調べてみると・・・
江戸幕府は、軍馬を確保するため下総地方に
小金牧・佐倉牧を設置した。
市域の台地上のほとんどは小金五牧のうちの
中野牧に属した。
中野牧に属した。
牧では最盛期には1,000頭もの野馬が野放し飼いにされ、
通常は餌などが与えられないため、野馬が村に入り
畑の作物を食い荒らすこともあった。
そのため、村人は野馬が入ってこないように
畑の作物を食い荒らすこともあった。
そのため、村人は野馬が入ってこないように
村と牧との境に野馬除けの土手を築いた。
また野馬を水呑み場や捕込へ効率的に誘導するための
土手(勢子土手という)が築かれた。
これらを合わせて野馬土手とよぶ。
これらを合わせて野馬土手とよぶ。
なお、勢子土手は幕府の手当てにより作られたが、
野馬除土手の築造、補修はすべて村の負担で
行われたという。
行われたという。
かつて野馬土手は市内各所に所在していたが、
開発等に伴い年々減少してきている。
そこで永く保護・保存するためにこの
初富小学校校庭横に所在する野馬土手は
捕込と共に国史跡に指定された。
そこで永く保護・保存するためにこの
初富小学校校庭横に所在する野馬土手は
捕込と共に国史跡に指定された。
この野馬土手は勢子土手と呼ばれる
種類の野馬土手である。
種類の野馬土手である。
だそうで。。。

また、上記の野馬土手とは違い、
馬を一カ所に追い込んで捕まえるための捕込と呼ばれる
施設があったようで、この地域は土手が袋状の“込”に
なっており、これを指す地名があることを考えれば、
なっており、これを指す地名があることを考えれば、
この近辺には江戸幕府に関連した施設が色々あったようで。

何気ない風景の中にも、こういった歴史があるものを
間近で見ていたことに気がついた私め、
まさか、江戸時代の遺構を
9年近く見続けていたとは。。。(汗)
9年近く見続けていたとは。。。(汗)