現場到着して観察してみると、60代男性のベロベロの酔っ払い、
自転車で転倒し鼻の下に擦過傷を負っているも、いたって元気。
自転車で転倒し鼻の下に擦過傷を負っているも、いたって元気。
この患者がまたふざけたことに名前を聞いても
救急車から引きずり下ろして
板垣 退助
勝 海舟
と言った歴史上の有名人しか答えず、内心は私め、救急車から引きずり下ろして
ボッコボコにしてやりたい
衝動に駆られていたわけでして。。。(苦笑) そんな大バカモノの出動から口火を切ったか、
駅前から常習者からの救急要請、専門治療で50km離れた病院まで搬送、
あと数km救急車を走らせれば九十九里浜で太平洋が拝める
場所の病院だった事を申し添えておきます。
駅前から常習者からの救急要請、専門治療で50km離れた病院まで搬送、
あと数km救急車を走らせれば九十九里浜で太平洋が拝める
場所の病院だった事を申し添えておきます。
そんな遠方搬送からの帰署途上、救急要請が2件立て続けにあり、
16時半前に遠方搬送の出動してから帰署したのが22時半前、
約6時間出っ放しというのは色々な意味を含めて辛いもので、
コレがある意味、救急隊の現実かも知れないですね。。。
16時半前に遠方搬送の出動してから帰署したのが22時半前、
約6時間出っ放しというのは色々な意味を含めて辛いもので、
コレがある意味、救急隊の現実かも知れないですね。。。
おかげで今日も自宅に帰り、午後から子供たちと安眠タイム、
今日も何も出来なかった訳で・・・il||li ○| ̄|_ il||li
今日も何も出来なかった訳で・・・il||li ○| ̄|_ il||li
さて、先般の山海堂の倒産のショックから抜け出せない私めでございますが、
WRC繋がりで昔に購入したこんなビデオを実家から発掘・・・
題名は「WRC 栄光のヒストリー vol.1 & vol.2」
WRC繋がりで昔に購入したこんなビデオを実家から発掘・・・
題名は「WRC 栄光のヒストリー vol.1 & vol.2」
WRCラリー自体は世界各国で行われるラリーの世界選手権として、
昭和48年からそれまで世界各地で別開催されていたラリーを組織化し、
世界選手権としてスタートしたのが始まり。
昭和48年からそれまで世界各地で別開催されていたラリーを組織化し、
世界選手権としてスタートしたのが始まり。
内容的には昭和48年の創設から昭和57~58年あたりまでは、
グループ2やグループ4といった規定が設けられて競技が行われており、
ルノー・アルピーヌやランチア・ストラトスなど、二輪駆動車が主体。
グループ2やグループ4といった規定が設けられて競技が行われており、
ルノー・アルピーヌやランチア・ストラトスなど、二輪駆動車が主体。
そんな中、昭和56年フルタイム4WDとターボエンジンを採用した
アウディ・クワトロが登場してラリーを席巻、
ミシェル・ムートンなどの女性ドライバーが活躍。
アウディ・クワトロが登場してラリーを席巻、
ミシェル・ムートンなどの女性ドライバーが活躍。
その後、それまでのグループ1~6規定を廃止し、
昭和58年シーズンから新規定に移行と言うことで、
グループN,A,B,Cへと簡素化され、グループBのみが
世界選手権となり、モンスターマシンが濶歩した時代。
昭和58年シーズンから新規定に移行と言うことで、
グループN,A,B,Cへと簡素化され、グループBのみが
世界選手権となり、モンスターマシンが濶歩した時代。
グループBマシン自体、高出力の過給エンジンとフルタイム4WDで駆動する
といった物であり、ラリーカーのスピードは劇的に向上するも安全面が
進化に追いつけず、多くの事故と犠牲者が発生!
といった物であり、ラリーカーのスピードは劇的に向上するも安全面が
進化に追いつけず、多くの事故と犠牲者が発生!
ランチアのアティリオ・ベッテガの事故死、プジョーのアリ・バタネンの事故、
グループBの廃止を決定的とさせた昭和61年、ツール・ド・コルスで発生した
ランチアのヘンリ・トイボネン の事故死は衝撃的だったようですね。
グループBの廃止を決定的とさせた昭和61年、ツール・ド・コルスで発生した
ランチアのヘンリ・トイボネン の事故死は衝撃的だったようですね。
私めの好きなMGメトロ 6R4やフォードのRS200といった
ラリーカーもあまり活躍しないまま終わってしまったような。。。
ラリーカーもあまり活躍しないまま終わってしまったような。。。
ただ、このときに行き場を失ったプジョーは
パリ・ダカールラリーに主戦場を移し、
パリ・ダカのレース自体を根底から覆すメカニック、物量作戦で
壊れた車も一晩で新車同様になるといった戦法で数々の栄光を残していましたね。
パリ・ダカールラリーに主戦場を移し、
パリ・ダカのレース自体を根底から覆すメカニック、物量作戦で
壊れた車も一晩で新車同様になるといった戦法で数々の栄光を残していましたね。
さて、昭和62年よりグループA規定で行われることになり、
ラリー車は市販車に近づき、メカニカル部分も
フルタイム4WDと2000ccのターボエンジンは必須の装備、
ランチアはデルタをベースにラリー車を登場させて
グループAを圧倒するもトヨタをはじめ、日産、スバル、三菱、マツダといった
日本車メーカーが対等。
ラリー車は市販車に近づき、メカニカル部分も
フルタイム4WDと2000ccのターボエンジンは必須の装備、
ランチアはデルタをベースにラリー車を登場させて
グループAを圧倒するもトヨタをはじめ、日産、スバル、三菱、マツダといった
日本車メーカーが対等。
ランチアのワークス活動撤退後にはトヨタ セリカが
日本の自動車メーカーとして初のWRCマニュファクチャラーズタイトルを
獲得、ギャラン VR-4やスバル レガシー 、
マツダ ファミリアGT-Rなど、懐かしい車たちが活躍しております。
日本の自動車メーカーとして初のWRCマニュファクチャラーズタイトルを
獲得、ギャラン VR-4やスバル レガシー 、
マツダ ファミリアGT-Rなど、懐かしい車たちが活躍しております。
この頃のドライバーといえば、ユハ・カンクネン、D・オリオール、
K・エリクソン、B・ワルデガルド、アリ・バタネン、マルクアレン、
M・ビアシオン、F・デルクールなどといった往年のドライバーも走りも
見られるのも特筆すべき点でしょうか?
K・エリクソン、B・ワルデガルド、アリ・バタネン、マルクアレン、
M・ビアシオン、F・デルクールなどといった往年のドライバーも走りも
見られるのも特筆すべき点でしょうか?
後年、WRカーとなり、市販車とかけ離れた姿になってしまい、
グループBの再来のようにも思いましたが、
私め的にはグループA時代までが一番興味深く見ていた時代だったような。。。
グループBの再来のようにも思いましたが、
私め的にはグループA時代までが一番興味深く見ていた時代だったような。。。
個人的には1000湖ラリーやスエディッシュラリーで疾走する
K・エリクソンの走りが好きでしたが、初代アジ・パシで初代チャンピオンを
獲得するも晩年は不遇な選手生活になってしまったような。。。
K・エリクソンの走りが好きでしたが、初代アジ・パシで初代チャンピオンを
獲得するも晩年は不遇な選手生活になってしまったような。。。
ひとまずこのビデオ、ラリー好きには見る価値はあるとは思いますが、
WRCラリーも往年の活気が戻らないかなぁ~、と思うのは
私めだけですかねぇ~?
WRCラリーも往年の活気が戻らないかなぁ~、と思うのは
私めだけですかねぇ~?