コタツに入ってテレビを見て・・・と言う生活したいのですが、現実は。。。
さて今日も鉄道模型の話題と思いましたが、
先日の新年会に行った際に時間があったのでデパートの中の本屋を散策。
様々なコーナーを巡っているとある一冊の本が目に。。。
著書はWRC、アジパシで活躍、現在、日産車でパリダカ参戦中の
「ライトニング・ケンジロー」こと、篠塚 建次郎選手の「ラリー バカ一代」。
幼少時代から大学生時代のラリー参戦、三菱時代のラリーや社員としての苦労、
オイルショックによるラリー自粛など、色々と盛り込まれており
三菱退社までの真相が書かれている。
まぁ、パリダカールラリー日本人総合初優勝やアジパシ初代チャンピオン、
日本人初のWRCアイボリーコーストラリー2年連続優勝など
輝かしい戦歴を残しながらも篠塚選手の三菱退社というのも個人的には
大きなショックでしたが、本を読んでなるほど、と思う真相が色々と書かれており、
本を購入して正解だったなと。
それにしても90年代はWRC、パリダカに熱中しており、
パリ・ダカールラリーにしてもWRCにしても
放映する時は必ずビデオ録画をしていた頃が懐かしいですね。(笑)
ホント、ラリーの黄金時代だったような。。。
パリダカも1986年の大会開催中に非業の死を遂げたティエリー・サビーヌの名文句
「冒険の扉を示そう。そこには、あらゆる困難が待ちうけているだろう。
扉を開けるのは君だ。望むなら連れていこう」これには心打たれた記憶があります。
自分がパリダカを見始めた頃はプジョー、シトロエンから
Pラルティーグ、アリ・バタネン、B・ワルデガルド、
一方の三菱から篠塚、増岡、Bサビー、J・Pフォントネ、Hオリオールなど、
今となっては懐かしい名前が色々と出場していた事を思い出します。
後年、日野からもカミオンクラスでレンジャーでの参戦となり
当時、ペルリーニだけが目立っていたカミオンクラスも
車格、排気量サイズの違いがあるとはいえ、注目してた思い出が。。。
三菱もある意味、パジェロの育ての親みたいな篠塚氏が退社後に
三菱ふそうなどの大規模なリコール隠しが発覚し、三菱への信頼というものが
音を立てて崩壊、自分自身も三菱に対する思い入れと言うものは
皆無になってしまいましたが、ここ数年、パリダカにしても
WRCにしてもハイテク化が進みすぎて面白みが半減してしまったような。。。
だけど今、日産パスファインダーでパリダカに参戦している篠塚選手、
無事にダカールにゴール出来るといいですねぇ~。