続? さくら の のほほん道楽絵巻

仕事よりも趣味最優先・・・毎年の目標は趣味道精進! そろそろ家族に捨てられそう。。。(汗;)

日々の備忘録。。。

 何とも先日のEF64 茶ガマ 1001号機と同様に
引越し多忙期に到着したせいか、今ひとつ相手にされず、
我が家で不遇な扱いを受けている153系・・・

イメージ 1
せっかくのGW中にもかかわらず、感染性胃腸炎で
自宅で大人しくしている家族を尻目に

とりあえず今回はカプラー交換作業に着手することに。。。

 前回お話したとおり、今回の153系は
房総急行仕様ではなく、あくまで「急行 伊豆」として

レイアウト完成後には活躍予定。

 15両編成として走らせるにしても、増結相手の5両は
153系ではなく、185系をお供させようかと。

イメージ 2

 といった訳でさっそく153系10両の作業開始ですが、
153系に関しては台車もビス止めではなくピン式、
103系のように精密ドライバー片手に
セコセコと台車を外す作業もなく、気楽なものでして。。。

イメージ 3

 例のごとく、一気にカプラー交換、
一気に台車をボディーに取り付け、
作業はあっという間に終了いたしますが、

イメージ 4

最後にもうひとつの儀式を・・・
先頭車のクハ153に信号炎管の取りつけ。。。

イメージ 5

 ひとまず、クハ153のケースに収められていた
信号炎管は使用せずに、

我が家の在庫になっている信号炎管を流用、
おなじKATO製、モノのほうも同じもので問題なし・・・
153系の男前化作業は手短に終了という事で。

イメージ 6

 ただ今回、クハ185と手をつなぐ事になる
片方のクハ153ですが、
増結台車のTR58 カプラー長 が見当たらず、
ダミーカプラーのまま。

 あえて増結台車を用いることなく、
我が家に2本ある房総急行編成の予備車として
既に増結用台車を取り付けたクハ153を流用。

 本来であれば房総急行7両編成に165系3両を増結し、
10両編成化を目論んでおりましたが、
肝心の165系を他線区に活用した為、
房総急行10両編成は幻に。。。

 てなわけで、単独編成の場合は今回の車両たちを、
185系を増結する際は増結台車交換済みの車両を活用。

 ひとまず、不遇な扱いだった153系も
カプラー交換を済ませていつでも出撃体制は可能ですが、
ホント、あとはレイアウトだけですねぇ~、
いったい、何カ年計画になるんだろうか。。。(淋)

 なかなか作業に取り掛かれずに若干、
放置プレー気味になっていた
鉄コレ 身延線仕様の

    クハ66とモハ62のアコモ改造車、
イメージ 1

 ただ単に作業が面倒だからという理由ではなく、
キチンとした4両編成で編組成させたかった訳で。。。

 そもそも鉄コレの身延線仕様、
クハ66は2両とも台車はDT13を履き、
一方のモハ62はDT17を履いており、
このままでは実車の編成にならないと言うシロモノ。。。
イメージ 2

 というわけで、ネットを駆使して情報収集、
あちらこちらから情報を集めた結果、こういうことが・・・
私めも身延線時代の編成番号に関しては存じませんが


・1 Tc300 (TR48)
   M 500 (DT17)
   M 501 (DT17)
   Tc001 (DT13)


・2 Tc301 (TR48)
   M 000 (DT13)
   M 001 (DT13)
   Tc000 (DT13)


・3 Tc303 (TR48)
   M 503 (DT17)
   M 502 (DT17)
   Tc002 (DT13)

イメージ 3

 300番台の履くTR48に関しては別途、
用意する必要あるものの、
いずれの編成も製作可能・・・
台車のバリエーションやら、
せっかく番号の割り振りも記載されていると言う事で、
中間車が500番台の編成で作業を進めることに。
イメージ 4

 今回、TR48に関しては
我が家で在庫になっていたGM製を使用、
PS13パンタグラフもGM製、
そのほかN化パーツを利用して作業開始!


 さてTR48を履いたクハ66ということで、
車両のセンターピンはGMのモノを用いずに
鉄コレDT13に使用していたピンを再使用、
ただし、そのままではピンの収まりが悪いと言う事で、
台車内側部分のセンター部分を彫刻刀にて平滑化。

イメージ 5

 台車を床下に戻して取り付け具合を確認し、
ウエイトを取り付けて作業完了。
イメージ 6

イメージ 7


イメージ 8

 先頭車の作業を終えて、残る中間車の作業・・・
プラ車輪から金属車輪化やらパンタ交換、
M車に動力を組み込みN化は完了! 
イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11 

 最後に115系身延線色と並べてみましたが
歴史を語る上では低屋根の旧型国電
並べた方が良かったですかねぇ~、
イメージ 12
 とりあえず、KATOの115系と並べても
アコモ改造車のクハ66はひけはとらないようですね、
敵ながら天晴れではありませんが、
ここまでくるとKATO信者の私めも
次の鉄コレにチョットした
期待を抱いてしまうわけでして。。。(恥)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 昨日は私め、祖父の13回忌の法事ということで、
徒歩で2分とかからない実家に出向いておりましたが、
朝から気合を入れて

五厘の坊主頭に・・・

これであればお坊さんと互角の勝負が出来るであろうと、
意気込んでおりましたが、お坊さんお髪型はロン毛気味の坊主頭、

てなわけで、髪型ではお坊さんに勝った さくら でございます。。。



 さて、そろそろ私めも念願の・・・といいますか、

道楽オヤジの部屋にもレイアウトが欲しい!

ということで、色々とレイアウト製作までには
かな~り長い道のりが待っており。。。


 そのまま床にレイアウトを製作するのでは
上方部分がデットスペースとなり、
肝心のブックケースなどが収納できず、

道楽部屋はただのゴミ部屋になりかねない

ということで、無い知恵を色々と絞り出し、
レイアウトを作製する下に収納を設けることに。


 ただ、収納を設けるには私めが製材等を買出しに出向き、
木工作業を行うのも一つの案ではございますが、
真に手間が掛かる & 耐震強度にいささかの不安が・・・
ということで、3段ボックスタイプの本棚を横にして
レイアウトの土台 & 収納にしようかと。。。


 というわけで、幼稚園に登園中の娘チャンを除いて
家族3人でホームセンターのケーヨーD2へ
軽トラックやらKei ワークスの活躍に押され、
ここ最近、休車気味のランクルで参上~!
D2に到着後、女房、息子クンと別れ、
道楽オヤジは本棚コーナーへまっしぐら~!!


 とりあえず、本棚の大きさとして

高さ89cm×幅44cm×奥行き29cm

ということで、この棚を横に倒し3列、
もしくは2列にして外周に並べて土台とし、
棚の上にベニヤと角材を用いてレイアウトを作成しようと行った寸法。。。


 ただ、3列側の壁よりには幅を約1mに出来るように
幅12cmのスペーサーとして板を2枚購入、
チョットずつ、レイアウトも現実味を帯びて来たわけで。。。


 ただ今回は土台となる本棚を8個購入してきたに過ぎず、
実際のところはあと、36個ほど必要・・・ホント、

千里の道も1歩から

の1歩しか進み始めていないような状況のような。。。il||li ○| ̄|_ il||li


 ちなみに製造元のお国は

鳥インフルエンザのお膝元?インドネシア製

う~ん、中に悪いウイルスが入っていないことを祈るばかりでして。。。


 とりあえず、先行で購入してきた本棚8個を早く組み立てて、
道楽オヤジの部屋で知恵を絞らないといけないですねぇ~、
ホント、レイアウト計画も数年がかりになりそうな状況ですが。。。(涙)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 さて本日は無事に法事のほうも終わり

私めの大事な道楽作業

はお預け・・・なんとも不遇の機関車とでもいいますか、
我が家にというか、昨年、実家の方に到着するも
新居への引越し作業やら模型の引越し作業で
公に姿を現すこともなく、

道楽オヤジの模型部屋

     で

半ば放置プレー状態

だった訳で。。。il||li ○| ̄|_ il||li


 さて今回のEF64 1001号機ですが、
昭和62年にお座敷客車「くつろぎ」をはじめとしたイベント列車牽引指定機、
復活したEF55 1号機の補機として、現在の姿となって登場。


 まぁ、登場からこれだけの年月が過ぎて模型で登場というのも

遅咲きのサクラといっても過言ではない?

ような、KATOがなかなかモデル化しなかったのが原因なのか知りませんが、
とりあえず、新しいバリエーションが加わったことで、
EF64もチョッピリ充実したような。。。


 さて、KATOから発表の特長として・・・

・ 精悍な車体、重厚な台車まわりや屋根上を的確に模型化
・ 別パーツの前面手スリ
・ 室内がシースルーの運転台
・ 1001号機茶:KATOナックルカプラー
  (選択式アーノルドカプラー付属)
・ フライホイール搭載動力ユニット採用により、
  パワフルかつスムースな走行性能を発揮
・ 車体表記を印刷でリアルに再現
・ 1001号機、JR貨物新更新色は圧延プレート車輪を表現。
・ 黒色車輪採用。
・ ヘッドライト 点灯

といった具合。。。


 さて、さっそくの男前化作業の方ですが、
後日、EF64 1000番台更新色が登場ということで、
更新色が到着したら一緒に男前化作業を行おうかと・・・
ところでこの茶ガマ、いったい何を牽引させようか、
ホント、悩むところですねぇ~。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 さて本日は私め、日勤と言う事で珍しく背広を着て職場に出勤・・・
どうも普段から着慣れないモノということで、堅苦しさを感じますが、
傍から見ると違った光景に写るようで、

「取立て屋サンみたいだね~♪」

「地上げ屋サン??」

などといった称賛の声を。。。


 ホント、背広を着た職業じゃなくて良かったと、
つくづく思う さくら でございます。m((_ _))m


 とりあえず本日は日勤で何もできなかったと言う事で、
ラリードライバーの本の話でも・・・。


 先日、オークションを覗いていたら実に面白そうな本が・・・
いまから20年前の1989年に発刊されたアリ・P・U・バタネン著 

一秒への挑戦

という題名の本。


 アリ・バタネンとは?ということで、フィンランド出身、
北欧系のドライバーって、名前の最後に
ソンとかネンがつく選手がホント多い感じですね、
前にNHKで放送されていたWRCラリーで
ソン・ネン系の選手は雪道に強いドライバーが
云々といっていたのを思い出しますが、
実際にそのようでして。。。


 そんなバタネン選手も昭和45年にプロラリードライバーデビューし、
昭和56年にはWRCラリーチャンピオンを獲得。


 昭和60年に起きたアルゼンチンラリーの事故、
本の方にも記載されておりますが、事故により瀕死の重傷を負い、
ラリーへの復帰には18ヶ月を要したそうで、
私めが両足骨折し、職場復帰するまでに15ヶ月だった事を考えれば
バタネン選手の負った傷がどれだけ重傷だったかと。。。


 ラリー復帰直後87'パリダカールラリーでは
WRCラリーから撤退したプジョーを操り優勝、
その後もプジョー、シトロエンで優勝を飾っておりますが、
WRCラリーにも復帰、スバルやフォード、BMWでスポット参戦、
後に三菱のドライバーやらスバル・ワールドラリーチームの一員になったりと
事故後のWRCではグループBの廃止によりプジョーが撤退した事もあり、
今ひとつ恵まれていなかったような気も。


 そんな私め、アリ・バタネン選手を知ったのは
パリ・ダカールでプジョーで参戦していたのが初めて、
後にWRCラリーにも参戦している姿を見た時はチト驚いた訳でして。


 そんな本の内容の方も、ラリー選手になってからの
色々な出来事が書かれておりますが、内容的にも
実際に選手としてラリーに参加して書かれている分、
読んでいてもラリーの模様が眼に浮かぶようでして。。。


 それにしてもアルゼンチンラリーの事故以後、
レントゲンによる癌への恐怖と、
大量輸血によるエイズの恐怖に苛まされていた事実は 
チョイト驚きましたね。


 確かに、傷も中々癒えない状況下で
そのような状況下に置かれれば
まともな精神状況でなくなってしまうのも
仕方ないのかもしれません。


 私めも両足骨折で治癒しなかった時の精神状況といえば・・・
私めも何となくですが、アリ・バタネン選手の状況が分かるような。。。


 20年前に発刊された本ではございますが、
ラリーやらアリ・バタネン選手に興味あれば一見の価値があるかと。。。

↑このページのトップヘ